薬学生から医学生、そして医師へ

薬学部から医学部に学士編入した医師によるブログ。初期研修医として日々研鑽中。実はチョコ屋さんでもあります。

2018年を振り返る

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みなさん、こんにちは!

2018年、まだ数日ありますが今回は今年のこうせいを振り返った記事を書きます。

少し長くなりますが、読んでいただけると嬉しいです。

 

タイトルは2018年を振り返るですが、まずは2017年の終わりから書きます。

 

2017年の終わり

2017年の11月、北海道大学医学部医学科への学士編入学の最終合格の通知が来た。

ただ、同時に富山大学医学部医学科の合格ももらっていた。

当時、富山大学の薬学部4年制課程に在籍していた僕は、どちら大学を選択するか非常に迷った。

様々な教授、先輩などに相談をし、どちらの選択が僕にとってベストなのか考え続けた。僕は、今のところ将来研究医を目指しており、臨床医は目指していない。

研究医となるために最善の選択はどちらか。いろいろ悩んだが、僕ば北海道大学を選んだ。

一番参考になったのは、富山大学理工学研究部 中村真人教授のアドバイスだった。

先生自身、小児循環器外科医として、心臓移植に従事した後に移植医療の限界を知り、

再生医療の研究者へと転身された経験を持たれている。

臨床と研究のどちらも体験した方のアドバイスは大きかった。

僕が北大を選んだ理由はいくつもの要素があるのでここでは割愛させていただく。

ただ、もし富山大学に進学していれば中村教授のラボで研究していた。

「3Dプリンターで臓器を印刷する」

という研究はすごく魅力的でぜひ研究させていただきたかった。

 

富山大学 中村研究室 バイオプリンティング

 

また、同時期に当時の彼女と別れた僕は、今までよりも時間が余っていた。

別れたことで自己を否定されたような感情もあった。

ただ、彼女はとても素敵な人で僕自身たくさん成長させてもらったし感謝しています。

彼女を悪く言うつもりはみじんもないです。

 

ただ、

 

「もっと魅力的になってやる。」

 

一種の反骨心みたいなものもあったかもしれない。

でも、何をしたらいいのかわからない。

とりあえずBOOKOFFで起業家とかのかっこよさげな本を数冊買って読みまくった。

当時の僕にはこれくらいしか出来なかった。

 

またその時僕は薬学部の研究室で卒業研究の真っ最中だった。

毎日12時間以上実験して脊髄損傷の治療薬合成に向けてフラスコを振る日々。

3か月後にポスター発表も迫っており、結果を出すことが求められる毎日に正直参っていた。

疲れ果てて、家に帰ったとある日、普段はテレビをほとんど見ない僕がたまたまテレビ

をつけると、そこにはレトルトカレーをストローでダイレクトに吸っている人が映っていた。

「誰だ、これは?」

そう、その人が筑波大学准教授の落合陽一さんだった。

正直、衝撃を受けた。研究者をしながら、起業家として、アーティストとしてマルチに活躍する人がいるという事実に。

その時、僕の研究者の概念が全て崩れ去った。

 

「研究者は研究だけしていなければいけないのか。」

 

そんなことはない。研究者としてサイエンスを通して社会を変えてもいいし、起業家としてビジネス的視点で社会を変えてもいい。

そしてそれを一人の人間がやってもいいんだ。

 

それから実験の合間に、落合陽一さんをはじめいろんな本を読みまくった。

そうして2017年が終わった。

   

2018年の始まりと成長、出会い

2018年が始まってからも暇があれば書店に行き落合さんの本やホリエモンの本、前田裕二さんの本などを読みまくった。

そしてとあることに気づく。

 

「これ同じ人が編集していないか?」

 

そう、それが箕輪厚介さんを僕が知った瞬間だった。

ただ、当時はなんか勢いのある編集者がいるなーくらいにしか思っていなかった。

 

そうして1月2月と本を読みまくった。合計で20冊くらいは読んだと思う。

そうした生活の中で僕は、実際に起業家に会って話をしてみたいと思うようになった。

そこで、無謀にも株式会社Fincの溝口社長に会社ホームページの問い合わせフォームから

「会いたいです」

とメッセージを送った。

今、思えば具体的に何がしたいとかないくせによく連絡を送ったなって思う。

そして3月東京に溝口社長に会いに行った。

そこで、溝口社長は僕にこうおっしゃった。

 

「この時代、アイデア自体に価値はない。Execution、つまり実行力に価値がある。」

 

と。

僕はそれ以来、実行すること、とにかく動くことを大事にしている。

なにも持たずにいきなり会いに行って、1時間もの間話をしていただいた溝口社長には本当に感謝しています。ありがとうございます。

それから僕にできることはなんだろうなあ~と考え始め、自分が難病に分類される心臓病を患っていることも思い出し、難病の分野でなんかできんかなあって思い始めた。

 

 

そして、4月。

北海道大学医学部2年次に編入学した。

最初の1か月は、札幌で過ごすことが楽しくて、お酒飲んだり、部活したり、勉強したりとどこにでもいるような医学生をしていた。

 

ただ「このままではよくないな。」という気持ちはどこかに持ち続けていた。

 

そして、6月ごろ徐々に運命の歯車が回り始める。

まずは箕輪さんが北大の学祭で講演会に来た。ようやく会えた。

そこで質問をしたのだが、

「とりあえずやりたいと思ったら、やってみなよ。」

と言われた。

頭で考えて、成功の道筋が見えてからしか動きださない傾向にあった僕にとって、非常に貴重なアドバイスだった。

 

そしてその数週間後、医学科の同期に、

「なんかビジネスの集まりがあるらしいから行ってみたら?」

と誘いを受け、

「まあ、暇だし行ってみるか。」と思い行くことに。

その集まりが北大起業部だった。

そこで、出会った人たちと難病関連の事業化にむけて動き始めた。

いろんな人のアポイントをとって話を聞きに行った。

 

北大の皮膚科の先生からは、表皮水疱症患者会の代表さんを紹介していただいた。

そこから北海道難病連の方も紹介していただいた。

ここから、人の繋がりが繋がりを呼び、爆発的に人脈が増えた。

そして、人脈が増えることでいろんな人からの視点でお話を頂けるようになった。

 

さらに、8月ごろTwitterで出会った村本さんが医療ITサロン、MIラボを立ち上げるとの情報を聞きつけ、0期メンバーとして参加させていただいた。

Twitterで情報発信をしていてよかったと心の底から思った。

 

camp-fire.jp

 

 

しかし、難病の事業の方は、理想と現実のギャップが大きくなかなかうまく進まなかった。

9月から10月にかけては、考えても考えても全くうまくいかないので半鬱みたいな状態になっていた。

なんとも言えない閉塞感が僕を包んでいた。

「これはまずい」と思い、表皮水疱症の患者さんにアポをとり話を聞きまくった。

また、全国難病センター研究会や表皮水疱症全国交流会でプレゼンもさせていただき、

いろんな患者さんやその関係者の方からも話を伺った。

 

その中で僕はひとつの仮説を得る。

 

 

「難病患者さんは、将来病気が治ることも大事なのだけれど、それと同等もしくはそれ以上に今のQOLを上げることを求めているのではないか。」

 

 

今まで見えていなかったものが見えてきた気がした。まだまだ具体的な方法については模索中だが、少しづつ形にはなってきた。

そこで、Facebook経由で知った、Makers UniversityというETICが主催する大学生向けの事業化プログラムに応募してみることに。

内容はもちろん、「難病患者のQOLの向上」

書類選考と面接審査を通過し、12月26日、見事Makers University第4期生に選んでいただいた。

2月のキックオフ合宿を皮切りに1年間のプログラムがスタートする。おそらく、2019年は激動の一年間になるでしょうし、僕が今まで経験したことのないような困難にぶち当たることも多いでしょう。

でも、選んでもらったからには、全力で動きます。難病患者さんは毎日、健常者が想像もできないような毎日を過ごしています。はやくなんとかしたい。

今までTakerだった僕がGiverへと進化する2019年にします。

makers-u.jp

 

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入塾通知書


長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

2018年ももう終わるということで、この一年間をまとめてみました。

おそらく僕の人生の中で、一番変化があり、成長できた一年間だったのではないかなと思います。

本格的に情報発信を始め、オンラインサロンにも所属し、様々な素敵なご縁に恵まれました。

また、北大の腫瘍病理学教室でも、素敵な先生方、先輩方に恵まれ、悪性脳腫瘍の研究

に従事できています。

研究者として知識、思考ともにまだまだですが、精一杯の努力をしていきます。

 

2019年は

 

難病の事業化と悪性脳腫瘍の研究の2つがメインの生活になると思います。

 

まだまだ未熟な僕ですが、2019年もどうぞよろしくお願い致します。