「病気は治すことが大事である。」
僕はずっとそう思っていた。
これは至極当然のことかもしれない。
なぜなら僕は、薬学部で創薬の研究をしていたから。
「今はまだ治らない病気を治療可能にする薬を開発すること。」
これが最大の目標だ。
しかし、医学部に来てから少しづつその認識が変わりつつある。
もちろん、治らない病気を治療可能にすることへの活動は、脳腫瘍研究という形で今も続けている。
ただ、それと同じくらい、「病気とどう付き合っていくか。」という
ことが大事なんじゃないかと思い始めた。
どちらがより重要というわけではなく、どっちも大事。
ただ、後者の方が社会として重要度の認識が遅れているという感覚はある。
それはそうだ。
だって、治らないものを治すための研究をすることには華がある。
かっこいい。
その華を求めて研究をしている人も多いだろう。
僕もそのひとりかもしれない。
(実際には、研究は地道でやってる最中は華なんかほとんど感じないが)
話を戻す。
なぜ僕が「病気とどう付き合っていくか。」ということに注目し始めたのか。
それはやはり、病気を疾患として捉えるのではなく、患者さんという人として捉える視点が養われつつあるからだろう。
僕が、4年制薬学部を卒業後、医学部に編入学を決意したのも、創薬の現場が患者さんの世界と乖離し過ぎており、研究のモチベーションが湧かなくなった瞬間を感じてしまったからだ。
だから僕は人一倍、患者さんを人として包括的に捉える視点を養うことは重要だと思っている。
もちろん研究をする上でも。
特に僕が研究をしている腫瘍(がん)の領域は特にそれが顕著かもしれない。
「がん」という言葉は、現代人が最も恐れている言葉のひとつだろう。
皆に等しくその可能性がある。(厳密にいうと等しくはないが)
しかも、場合によっては治療困難で治らないことも珍しくない。
その瞬間、がんとどう付き合いながらこの先を生きていくかということに重要性の比重がシフトされる。
そうなった時、僕たち医療に携わるものだけではなく、社会として何ができるだろうか。
最近は、その重要度が認識されつつあるが、まだまだ十分ではないと個人的には思っている。
特に大きな資本と技術力をもち、体力のある企業は特にこの領域に目を向けて欲しい。
これだけ医療が進歩した現代でも、まだまだ治せない疾患は山ほどある上に、治せない疾患は患者数が少ないという傾向にある。
経済活動を元に動くこの社会では、ますます孤立してしまうばかりかもしれない。
しかし、次世代の遺伝子解析技術やAI、スタートアップなど新しい風が吹き込みつつあるこの時代に、「治らない病気とどう付き合っていくか。」について大きく前進することを期待したいし、僕自身も研究と事業を通して前進する燃料を供給したい。
今日のひとこと
事業を始めて良かったことは、諸々のスキルや知識がついたこともあるんだけど、一番は社会への感度が高い仲間たちと知り合えたこと。
— 中村恒星 / SpinLife (@kkkkosei777) 2020年1月12日
そして感度が高い人の周りには感度が高い人がたくさんいて、自分の感度が更に磨かれるという正のサイクルが回り始めたことは最高だ。