こんにちは
ちょっと風邪気味のこうせいです
4月から新学期が始まり、いろいろ無理していたので身体にガタがきたかなって感じです笑
さて、今日は午前中「法医学」の講義がありました。
法医学といえば、いくつかドラマの題材にもなってますよね
アンナチュラルとかチーム・バチスタとか。
事件の原因究明のイメージが強くあります。
なんとなくは、法医学というものについてイメージはあったものの、学問として学ぶことは初めてなのでなかなかに衝撃を受けております。
死体の異状を確認し、死亡診断書を作成することも医師の大きな役割である。
医師の重要な役割を再認識しています。
今日の授業では、なかなかにショッキングな写真を何枚も見ました。
孤独死、自殺、他殺など。
いろんなご遺体の画像を見ました。
僕は、今年24歳になりますが、自分の身近な人が亡くなったことはまだありません。
そのため、「死」というものが僕にとってはまだフィクションの領域を出ていない。
しかし、今日たくさんのご遺体の画像を見て、法医学を通して「死」というものを強く意識しました。
そして生きるということについて考える時間でもありました。
正直いうと、学問として法医学に興味があるかというとそこまでありませんが、いろいろ自己を内省できる時間になりそうなので、真面目に授業を受けたいなと思います。
話は変わりますが昨日、研究室の先生と「生きる意味」について話していました。
僕なりの最近の答えは、「客観的には生きる意味はないけど、主観的には生きる意味はある。」です。
そんな話をしていたときにとある先生が、
「病気になった娘に移植をするために、1/4の可能性にかけて、もうひとり子どもをつくった夫婦がいるらしい。」(僕の医学知識が乏しいため詳しくは忘れました)
という話をしてくださいました。
その妹ちゃんは、お姉ちゃんが病気でなければ生まれなかったのか?
うーん、なかなか考えさせられる話だなあと思いました。
少しづつ、「生と死」というものに対する価値観が変化しつつあります。
常にこんなことを考えていると参っちゃいますが、道に迷った時、日々が単調になった時、ちょっと立ち止まって大真面目に考えてみるのもいいのかなと思いました。